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有村藍里「自分をもっと好きになるための“一歩”」

有村藍里「正直、心が折れたことは何度もあった。半泣きで移動していた“下積み生活”を振り返って」【連載第28回】

有村藍里さんの連載「自分をもっと好きになるための“一歩”」。今回から藍里さん自身で執筆いただき、より“素顔”に迫っていきます。

4月は新生活が始まるシーズン。新しいことにチャレンジしたり、新たな人と出会う機会も多いはず。そこで今回から数回、藍里さんの「上京」エピソードを語っていただきます。

大きなキャリーバッグはパンパン。半泣きの状態で大荷物をかかえて移動していた「あの頃」

私は兵庫県伊丹市で育ちました。

引きこもりだった私は、16歳で大阪の芸能事務所の面接に行く時に、初めて一人で電車に乗りました。

事務所に所属してしばらくの間は、ポートレートモデルとして撮影スタジオでお仕事をしていましたが、その数年間でたくさんの人と出会い、学びました。相変わらず、人見知りで内気な性格でしたが、いつのまにかカメラの前で自分を表現することが好きになっていました。

全然違う人間になってみたくて、当時、事務所で一番仲良くしていた子に突拍子もない提案をして、一緒にユニットを組んでライブアイドルとして活動していた時期もありました。

イベントでマイクを持ってMCをさせてもらっていたこともあります。この私が? って今でも信じられない。

そのうちもっと色々なことに挑戦してみたいと思うようになり、大阪でポートレートモデルやアイドルの活動をしながら、オーディションやグラビアのお仕事がある度に、夜行バスや新幹線を利用して、兵庫の実家から東京へ通う生活がはじまりました。
毎回、「海外旅行にでも行くの?」と思われてしまいそうなくらい大きなキャリーバッグがパンパンで閉まらないほどの大荷物。必要な衣装や靴、メイク道具などをお尻で踏み押し込みながら無理矢理詰め込み、それを持って月2~3回東京に行っては、数日間ホテルに泊まるというような日々を過ごしました。

夜行バスで行く時は、早朝に東京に到着してすぐ、朝から営業している銭湯を探して巨大なキャリーバッグを運びながら向かいます。

銭湯の方に「ここにキャリーバッグ、置かせていただいてもいいですか?」と尋ねると、「いいわよ。大荷物で大変ね」と、ヤクルトをもらって嬉しかったことを思い出します。

そして、銭湯でお風呂に入って準備をしてからそのままお仕事へ。

とんでもなく重くなったキャリーバッグを持って、気合いでなりふり構わず階段を駆け上がる。階段を降りる時は落ちないよう命がけ。キャリーバッグは、あちこちにぶつけてボロボロ。

いつかは、専属のヘアメイクさんやスタイリストさんについてもらえるようになるんだ。そう思いながら毎度、半泣きの状態で大荷物をかかえて移動していました。
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