26.Jun.2014

日本のW杯がおわった・・・

音楽を聴きながら 仕事から帰ると、いつも詰まらなかった 帰りの電車もすごく楽しく思える。不思議。




日本の サッカーW杯は終わりました。

正直 期待していた結果は出なかったけれど

落ち込む長友を見たのは初めてだし、それを慰めるチームメイトの姿を知れたし

本田が今までのことを全否定してかかってるところも驚いたし

香川が期待してたほどの活躍ができなかったのも意外だったし

とにかく 日本のサッカーW杯に対する 体温は 上がりきることなく落ち着いてしまった。



でも、ザッケローニの退任表明の記者会見にはジーン ときてしまった。


わたしは オシム監督も大好きでした。

弱かったジェフをあそこまで強くした。

それには オシムの論理があった。

練習のあと、居残り練習を志願した 阿部や巻に「お前に必要なことはすべて私の練習のなかに含まれている」といって 許可しなかった
それでも 居残り練習をしていたのをみて グラウンドの電気を落としてしまったというオシム。

オシムの練習は90分、サッカーの試合と同じ。

考えてゲームをしろ。そして 誰よりも走れ。と教える。

引き分けで 勝敗を決めるためのPK戦は 勝ち負けに関係ない。
そこまで 選手たちは頑張ったのだから、といってPKは見ない。 とかね

オシムが脳梗塞に倒れて、「私はまだまだやる気だが、妻が怒るし、死ぬなら母国で死にたいので」といって 日本代表を退いたのも さみしかったけれど その気持ち すごく 尊重できた。


そして オシムは ボスニア・ヘルツェゴビナに帰って 母国のサッカー協会をまとめることに尽力を尽くした

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家 と呼ばれた 旧ユーゴスラビアにおいて 最後の代表監督をしていた オシム
オシムが評価され 尊敬されていたのは 民族や 出生に関係なく 実力のある選手を徴用したこと

そして 今回も オシムは 影となり光となり 協会をまとめ上げ ついには ボスニア・ヘルツェゴビナ W杯初出場へと つないだのだ
ある協会の役員はいった。
「オシムは どこの民族、どこの宗教、どこの文化にも属していなかった。どこにもだ。ただし そのすべてに所属していた」と。

オシムは 母国のW杯初出場の報に涙を見せたという。

それでも まだなお オシムは 日本のことを気にかけている。

日本のJリーグの試合は 見れる限り テレビで見ているというし、代表の試合もみているという。

そして 折を見て 日本にアドバイスを送っている。

日本は勝てる。強くなった。 とか ジェフはいったい何をしている、J2にずっといるようなチームではない、とかね。


南アフリカ大会以後 日本に来てくれた ザッケローニは こんなにも日本人の精神性をわかってくれてる外国人がいるのか!と驚いた

そして 日本をこんなにも強くしてくれた

国際試合を見ていて「相手のチームみたいな こんなゲームを日本もしたいんだよ!!」って 思っていた そういうゲームを 日本に与えてくれた人だった

今では それぞれの選手が同じイメージを共有して ゴールに襲い掛かる
そんな日本のチームを 作ってくれたのは ザッケローニだった

震災の後 外国人が日本を離れ、海外の船も 飛行機も日本に寄り付かない中 ザッケローニは 日本に来てくれた

日本を 世界レベルに引き上げてくれた それは ザッケローニの力だった

日本の期待に応えて ザッケローニが力を尽くしてくれた、それにこたえるように 選手たちも 続々と海外へ進出し 世界の有数のチームでプレイするようになった

これは 全て ザックの功績です。


そして サムライのように 全ての責任を負うと言って 退任するザッケローニ。


心から 心から 感謝します。

ありがとうございます。


日本を ここまで 成長させてくれて ありがとうございます。

日本を ここまで 強くしてくれて ありがとうございます。


願わくば これからも 日本のことを どうか そばで 見守っていてください。

日本には まだまだ あなたの力が 必要です。


オシムのように。 オシムよりも どうか もっと そばで。



でも まずは 本当に4年間 お疲れ様でした。どうか すこしは 休んでください。

その 重責を下して そして また いつか 同じ夢を見たいと思います。
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