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01.Nov.2020

【西川史子】人生初の挫折は40代「でも経験しておいてよかった」という思いとは?

【西川史子さんと考える】働く女子の人生、「やりたい」ときが「始めどき」

「自分が主役!」とばかりにテレビに出て活躍する華やかな仕事から、一見地味に見えるが、一人一人の患者と向き合い、「人の役に立てている」と実感できる仕事へ――。

28歳で芸能活動に興味を持ち、31歳で進むべき医療の分野を変更した。38歳で結婚し、42歳で離婚。48歳でもう一度医療と向き合う決心をした。人生初の挫折は40代。

40代でチャレンジを始めた西川先生から人生の分岐点にいるwith 読者へ。
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ブラウス/EUROPEAN CULTURE、パンツ、ベスト/ottod’Ame(STOCKMAN) 他スタイリスト私物

PROFILE

にしかわ・あやこ
1971年4月5日生まれ。神奈川県出身。聖マリアンナ医科大学医学部卒業。大学在学中の1996年、「ミス日本」に出場。同年、医師国家試験にも合格。都内のクリニックに勤務する傍ら、テレビのバラエティ番組等、メディアでも活躍。

特に「サンデージャポン」は2007年4月から2020年3月まで13年間レギュラーを務める。2020年1月より、自身の本業である美容医療の道を極めるべく、芸能活動はセーブしている。芸能界での目標は、大好きな松田聖子さんと会うこと。

やりたいと思ったら、いつだって迷わず飛び込んでみる!

開業医の家庭に生まれ、幼い頃から「医者にならないなら、経済封鎖をする」と言われて育った。その代わり、勉強をするための環境は万全。駅前の本屋はツケで、図工で絵を描く課題、家庭科で浴衣を縫う課題があれば、「少し下手にお願いします」と全てプロに依頼した。

専業主婦だった母は、「職業婦人になりなさい」と西川さんにハッパをかけ、さらに、サラリーマンのところにはお嫁に行けないようにと、娘に貧乏を教えなかった。

「『お金は湧いて出てくるものだ』と教えられて、少女だった私は、『そうなんだ』と素直に信じていました(笑)」
研修医だった28歳の時、芸能事務所にスカウトされた。医療ジャーナリストへの憧れもあり、雑誌の連載などを始めて、ぽつぽつとテレビの仕事もするようになる。医師としての仕事は忙しく、文化人としての活動は面白かった。最初の転機は31歳で訪れた。

「当時は整形外科医だったんですが、あまりにも人の体が重くて、『私は向いていないんじゃないか』と思った。まだ大学に美容皮膚科がなかった時代です。自分の特性が生かせる分野はないかと探したら、学会誌で松倉先生の名前を見つけ、履歴書持参で、直接クリニックに伺いました」
芸能活動は一旦中断し、クリニックの仕事に専念しました。晴れて美容皮膚科医になると、同時にテレビでも引っ張りだことなり、最初は医師9:文化人1だった割合は、2年ほどで逆転していた。

「夜中の3時に帰って、次の日の7時にはまたテレビ局に向かうような毎日が続きました。で、37歳の時にふと、『私、結婚してない!』って気づいたんです。当時は本当に疲れ切っていたので、もう健康な男子なら誰でもいいと思いました(笑)」
 
38歳で結婚したものの、元来が心配性で、かつトゥーマッチなところがある西川さんは、「いい妻でありたい」と頑張りすぎた。

「このおかずが『好きじゃない』って言われた時の保険、そのまた保険まで作って、朝からおかずがテーブルの上を埋め尽くしました。それまで人生で失敗したことがなかったから、失敗がとにかく怖いんです。一対一では付き合わないから、恋愛で失恋をしたことがなかった。必ず保険をかけていて、こっちがダメならこっち、と男性を股にかけていた(笑)。でも、結婚したら一対一でしょう? そのとき初めて一人の人に自分の人生を賭けてみて、初めて『あ、これは私に向いていない。失敗だった』と悟ったんです」
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