恋愛・人間関係
武田砂鉄「どうしていつまでもこうなのか」

武田砂鉄「女性の働き方を軽視するのは誰か」【あの発言から考える】

連載第9回【武田砂鉄 どうしていつまでもこうなのか】〜あの発言から考える〜

『with』 の連載「結婚神話解体工事」にて、今の時代の結婚をとりまく状況を考察して、私たちに新しい気づきを投げかけてくれた武田砂鉄さんによる、結婚とは? 夫婦とは? ということと共に、そもそも私たちが生きやすい社会って? ということを考える連載【どうしていつまでもこうなのか】の9回目です!

今回のテーマは、「女性の働き方を軽視するのは誰か」。これまでは常識だとして“スルー”していたさまざまな問題を、私たち自身の将来のため、そしてこのあとの世代のために、ちょっと考えてみませんか?
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「女性の働き方を軽視するのは誰か」

桐野夏生さんの新刊小説『真珠とダイヤモンド』は1980年代のバブル期の証券会社を舞台にした小説だが、証券会社で働く女性は会社を動かす人材とは思われておらず、結婚相手を探しにきただけの、数年で辞めていく存在と受け止められている。お茶汲み、弁当の注文などの他、時には「床にわざと投げ捨てられた紙ゴミを、ゴミ箱を持って拾って歩いたこともある」という描写まである。主人公の女性が証券会社に入社するのが1986年だから、男女雇用機会均等法が施行された年にあたる。
 
以前、1988年から2009年まで続いていた映画『釣りバカ日誌』をすべて観て考察する記事を書いたことがある。建設会社を舞台にしたこの作品を続けて観ると、描かれる社内の雰囲気が変化しているのがわかる。1988年に公開された1作目の『釣りバカ日誌』では、破けてしまったズボンを女性社員に縫ってもらおうとする課長が登場する。

その依頼自体がハラスメントだが、課長はその場でズボンを脱いでしまう。いきなり脱いだ課長に驚き、大声で叫んだ女性社員の声を聞き、みんなが集まってくる。ズボンを脱いで何をするつもりだったのかと疑われた課長は逆ギレし、「いくら私が物好きでも、こんな鶏ガラみたいな女、相手にするか!」と怒鳴る。

最低のハラスメント発言だが、これに近い環境が現実にも存在したからこそ、映画の一コマとして盛り込まれたのだろう。作品を見続けていると、2006年の『釣りバカ日誌17』では、女性社員再雇用制度を利用して復帰したものの、離婚していたことが社内に周知されておらず、結婚後の名字を呼ばれてしまって動揺する女性社員が登場する。その対応は問題だが、制度自体は1作目のころにはありえなかったから、この20年ほどで、作り手の意識も、もちろん観る側の感覚も変化したことがわかる。
私が大学を卒業して出版社に入社したのは2005年だが、最初の数年間だけ、社員旅行があった。温泉宿に着くやいなや、大きな宴会場に集まり、偉い人順に並べられた座席を見て「なんだこれは……」と呆れていると、多くの人が偉い人のところへお酒を注ぎに行っていた。偉い人たちは若い女性社員とのデュエットを楽しんでいたが、相手をしているほうの笑顔は引きつっていたはずである。

どんな時代も「昔と比べれば」という枕詞を使えば「まだマシ」になるのだろうけれど、2000年代になっても男女の雇用機会は均等ではなかったし、扱いも均等ではなかった。日本のジェンダーギャップ指数が主要先進国で最下位なのは政治と経済の分野が大きな要因となり続けているが、なかなか改善に向かわない。
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