若い頃には、世界のベストドレッサー賞に3回も選ばれるほどの美しさだったこと、ご存知ですか? それはもう輝くような気品にあふれていました。
美智子さまは、当時の皇太子・明仁さまに見初められ、今から60年前に、初めて平民から皇室にお嫁入り。その時代は皇太子妃は旧皇族か身分の高い旧華族(貴族階級)から選ばれるのが一般的でしたから、まさに「現代のシンデレラ」だったのです。
① 「テニスができる」は、よい出会いのための必須条件!

よいご家庭の男子と出会うために大切なことは「テニスができること」。当時はテニスコートが出会いの場だったのです。スポーツは、お相手がつとめられなければ仲間に入れないですものね。
美智子さまは、お母さまのすすめで、テニスの個人レッスンを受けていました。
テニスは、今でこそだれでも楽しめるスポーツになっていますが、美智子さまが20歳くらいのころは、上流階級のステイタス・シンボルだったのです。
美智子さんが通っていたのは、東京・自由が丘の「加茂コート」。加茂国夫氏の指導のもと、テニスの腕に磨きをかけていたのです。
その頃の聖心女子大学のテニス部は、全国の大学でベスト5に入るほどの強豪で、美智子さまは関東女子学生トーナメントで優勝するほどの「テニスの女王」。
そんな美智子さまと皇太子・明仁さまは、テニスコートで出会うことになるのです。
昭和32年8月18日、旧軽井沢のテニスコートでハンディトーナメントが行われたときのこと。美智子さまは白いスコート姿でボールを追っていました。
皇太子さまと早稲田大学の学生のペアは優勝候補。対する美智子さまのペアは、13歳のフランス人少年。ところが、四回戦目で皇太子さま組と対戦した美智子さま組は、大方の予想を裏切って勝ってしまったのです。
「やられたな」と悔しそうな皇太子さま。しかし、その表情は意外にうれしそうだったといいます。
この日から、皇太子さまにとって美智子さまは忘れられない存在になったのです。
まさに「テニスが結んだご縁」でした。
ちなみに、皇太子さまと美智子さまのご成婚が決まると、「テニスコートの恋」にあこがれた若い男女の間に空前のテニスブームが起こりました。美智子さまの着ていた白いテニスウェアに紺のカーディガンも売れに売れたといいます。