そんな辻ちゃんの子育てのすべてが詰まった一冊が、『大好きな人と結婚した、その後。』。発売前に重版が決定、さらに早くも2度目の重版が決まり話題となっています。そこで今回は特別に杉浦さんとの特別対談を一部お届け!
妊娠がわかった19歳の春、二人は何を思っていたのか、そして結婚3年目に“離婚寸前”までいった理由とは……。
妊娠がわかった19歳の春。そのとき二人は…
辻 希美さん(以下、希美) 彼の友だちの家や都内のお店で会うときは、私が段ボール箱の中に入ってガムテープで留めてもらい、荷物として友だちに運んでもらっていました。帰るときにも使うから、箱を破壊しないように出るのが大変だったっけ(笑)。
杉浦太陽さん(以下、太陽) 都内で会うときはすごく気を遣っていましたが、旅先ではまったく普通にデートしていたよね。あるとき、西伊豆でランチを食べに入ったうなぎ屋さんに声をかけられて色紙を書いたんですが、僕のサインの隣にのんが「辻ちゃんです」って書いたことがあった。
希美 SNSがなかったし、街以外ではマスクも帽子もなしでデートしたよね。初デートは私、黄色のフリフリミニワンピだったし(笑)。
太陽 初めて意識したのは、お正月を辻家で過ごしたとき。このご両親とのんとならいい結婚生活が送れそうだな、というビジョンが見えました。それと、僕の実家に来たときも、入るなり「ご先祖さまにお線香をあげさせてください」って言ってくれて。「うちの親族も大事にしてくれるんだ」と思えたのも大きかった。
希美 私は“付き合う=結婚する人”という考えでした。彼が友だちを大事にしている姿を知っていたから、家族も大切にしてくれるはず! と思っていました。
太陽 もともと結婚したいということは両親や事務所には相談していました。結婚自体は誰からも反対されなかったんですが、ただ、彼女は当時まだ19歳だったから、20歳になったらという話になっていたんです。そして付き合って1年たったある日、「赤ちゃんができた」と聞いて。まずは「おぉ! おめでとう!」って言ったものの、その後二人で「今後どうしよう!」ってめちゃくちゃテンパりました(苦笑)。
希美 「まずは誰に報告すればいいの!?」となって、お互いの兄弟、親を集めて会議を開いたんだよね。それから、両親と一緒にそれぞれの事務所に報告しました。