vol.21「女っぽいとか女らしいとか」
夏休みの学習で育てた朝顔のように、目に見える変化。毎日会っていてもわかるほどの成長具合には感心してしまう。本人たちもそうだろう。自分の背が伸び、見える景色が変わること。顔やからだつきも変化し、学校や友達といった環境だってくるくると変わっていく。自覚できる変化は、毎日から退屈を取り除いてくれるのかもしれない。
そう思うと、大人になるごとに退屈になるのもわかる気がする。体の成長は止まり、行動範囲もある程度限られ、よく言えば安定した日々が淡々と続いていく。見える景色も、話すひとも、やることも、そうそう変化のない毎日だ。
ある程度完成してしまった自分。ここに面白みを感じることができるほうが難しいのかもしれない。毎日がなんとなく色あせ、毎日に飽きる。そんな感覚にも納得できてしまう。
でもここ数年、この渇きを感じなくなった自分がいる。生活は変わっていない。行動範囲も、関わるひとも変わらない中で、確かにあのふつふつとした思いを感じていないことに気がついた。