vol.15「自分の裸」
「わたし、ものすごく化粧映えする顔なんです。だから化粧を落とした自分の顔が許せなくて、気分が落ち込むんです」。かわいい顔から、思いもよらぬ悩み。「カラコンを外した顔も、化粧を落とした顔も嫌いでしかたない」というのだ。
わたしから見たら、化粧をしている今の顔もかわいいが、ノーメイクの顔もかわいいはずだということが簡単にわかる。カラコンなしのかわいさや、素顔にしかないかわいさの話を伝えてみるものの、きっと彼女はこれからも「メイクした顔と素顔のギャップ」に少なからず心を曇らせるのだろうと思うと、なんだか複雑な気持ちになった。
確かに、コスメの進化、アプリやカラコンなど自分の顔をある程度自由自在に操作できてしまう今、そうした悩みが出てもおかしくはないのかもしれない。リアルな自分への思いを打ち明けられるたび、スマホの中で作られた「生命感のない顔」に目がとまるたび、考えてしまうのだ。
思い返せば、わたしにもそんな時期があった。
メイクをして「自分の認める顔」にならなければ、外に出るのが嫌だったし、できるかぎり素顔を見せたくなかった。そんな若い時代が確かにあった。カラコンもしたし、マツエクもした。カラコンは、外したときの自分の顔が、まるで爬虫類のように見え、ますます自分の顔に心が曇った。作った顔と素顔のギャップがなくなるほどに安心をしたものだ。
でも、そんなわたしも、今は自分の裸眼や素顔がなによりも好きだ。
自分への愛を年々育てることができているのを感じている。ここでおっきな声で言いたいのは、そのままの自分を認めることができると、ものすごくラクに、楽しくなるよ〜ということ。「素の自分を好きになる」。これって言うのは簡単だけど、実際難しいよね、ということは、女ならわかる話。でも今。無性にリアルな自分を許し、認めたい思いにかられている。