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“2.5次元舞台のプリンス”和田琢磨「高校時代は建築設計士になろうかと思っていました」知られざる学生時代のエピソード

舞台『刀剣乱舞』、舞台『サザエさん』などの人気作に次々に出演し、近年では映像作品でも活躍している俳優・和田琢磨。6月10日からはアニメ化して注目されている『薔薇王の葬列』の舞台化作品にヘンリー役として出演するなど、引っ張りだことなっている“演劇界のプリンス”だ。今回から全3回の連載で、和田琢磨の少年時代から人気俳優になるまで、今見据えているもの、そしてプライベートに至るまで、丸裸にする。
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高3のときにスポーツ推薦を断って、大騒動に。でも、親父の言葉に救われました

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−−1986年、山形県に生まれた和田さん。どんな子供時代を送っていましたか?

生まれは山形市なので、比較的中心地で育ったんですが、子供時代は演劇に特別興味があるわけではなかったですね。そもそも、そういうものに触れる機会がなかったんですよ。唯一あったとしたら、山崎まさよしさんのライブを山形の市民ホールで観たことくらい。だから、自分が人前に出る仕事に就くとは夢にも思っていませんでしたね。

どちらかというとスポーツばかりしていて、小学生の時はサッカー、中学生の時は野球、高校時代はハンドボールに夢中でした。中学時代は、野球部として2つの大会で東北3位になるくらいうちのチーム強かったんですよ。「みんなで同じ高校に進んだら甲子園にいけるんじゃないか」と話していたんですけど、キャプテンが「僕は進学校に行きたい」と言うので、その夢は叶いませんでした。野球をやっていた時はプロ野球選手になりたいと思っていたんですけど、中学でひとつ燃え尽きたところがあって、高校は違うスポーツをやろうとハンドボールを始めました。
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−−高校時代は将来何になろうと思っていたんですか?

父が建設系の仕事をしていたので、工業高校に進学して建築科で設計の勉強をしていました。だから、将来は父と同じような建築関係の仕事をするのかな、なんて漠然と考えていましたね。高校時代、ハンドボールのキャプテンをしていたこともあって、推薦の話をもらうことができたんですが、何を思ったか、ギリギリで断ってしまったんですよね。今思えば、東京への憧れが捨てられなかったというミーハー心なんですけどね(笑)。

決断をしたのが進学も、就職活動のタイミングも過ぎてしまった時期だったので、もう本当に行き先がなかったんですよ。だから、急遽の5者面談です。担任と学年主任と部活の顧問、それに僕と父が呼ばれて「これからどうするんだ?」と。就職率や進学率を大事にする学校だったので、99%の生徒が次のステップを決めているなか、僕はどこにも属さない1%の人間。先生たちは気が気じゃなかったわけですよ。でも父が「これは先生たちの人生ではなく、うちの息子の人生なんで。ここからは息子が考えることです」なんてことを言ってくれたんです。普段、保護者会も運動会も母親任せで仕事に専念しているような父だったんで、その時に初めて「親父、カッケェな」と思いましたね。
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