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「不安で仕方がなかった」2021年大注目シンガーソングライター川崎鷹也が語る、挫折と下積み生活

2020年夏、TikTokをきっかけに「魔法の絨毯」が注目を集めた、栃木県出身・1995年生まれのシンガーソングライター、川崎鷹也さん。お付き合いをしていた頃の奥様への不器用な愛を真摯に綴った「魔法の絨毯」は若者から多くの支持を集め、2021年に入ってからはさらにメディア露出が増えたことで、老若男女問わず多くの人の心を掴んでいます。

しかし現在の華々しいシンデレラストーリーまでには、血のにじむような努力が……。音楽の道を諦めずに続けてこられた理由や、会社員と音楽活動を兼業していた期間、奥様の存在や一児の父になって思うこと、新曲「Answer」に込めた想い――気高く生き続ける川崎さんの人生にフォーカスしたロングインタビュー。第一回目では、挫折からスタートし、自分を追い込んで練習に打ち込んだ専門学校時代や、卒業後の下積み生活について。

挫折からのスタート。自分を追い込んで練習に打ち込んだ専門学校時代

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――アーティストの道を志して音楽の専門学校へ入学した川崎さんは、周りとの実力との差に劣等感を覚えたと。……挫折からのスタートだったんですね。

川崎鷹也さん(以下、川崎) あははは、まさしく井の中の蛙でした。高校3年生の時に、いまマネージャーをやってくれている賢也(※薄井賢也。マセキ芸能社所属のお笑いコンビ・髭兎としても活動中)と文化祭のステージに立ってカバー曲2曲披露して、「自分のやりたいことは音楽だ」と決めたので、ギターの経験も曲作りの経験もゼロだったんですよ。

――川崎さんは「まずは学校で一番になる」と決心し、学校終わりの23時まで音楽スタジオでバイトをして、朝7時までスタジオで練習、スタジオで2時間寝て学校へ行って、家でシャワーを浴びてまたバイトをして……という生活を2年間続けるという。とんでもないガッツです。

川崎 根が負けず嫌いなんです。あとは地元の同級生からの激励ですね。「行ってこい!」や「スターになれ!」と書かれた寄せ書きは、何気なく書いたものかもしれないけれど、僕にとって良くも悪くもプレッシャーになって。「東京で何も成し遂げられないまま栃木に帰るわけにはいかない!」という気持ちが大きかったんです。だから入学早々に実力の差を見せつけられて、「音楽で結果を残したいなら、まずは学校で一番にならないと」と思ったんですよね。結果、学校では一番になれなかったんですけど(笑)。

――とはいえ、2021年3月にミュージックステーションでも披露した「サクラウサギ」を専門学校2年生の頃にお作りになったのは、努力の賜物だと思います。どんな練習をなさっていたのでしょう?

川崎 ひたすらYouTubeで一流アーティストの動画を観ながらカバーしていましたね。好きな曲をひたすらカバーしながら、「弾きながら歌う」ということに慣れていく……くらいしか思いつかなかった。周りの同級生に追いつくためにはひたすら練習するしかなかったんです。授業をきっかけにオリジナル曲を作るようになって。最初の頃は「やりたいことをやるために東京に出てきた」とか「後ろは向かねえ」とか「ポケットにはレシートしか入ってねえ」みたいな(笑)、背水の陣の自分を鼓舞する曲ばっかり作ってました。
――そこまで自分を追い込んででも目標を貫く姿勢に感服です。東京は遊びの誘惑も多いので、そこに負けない意志の強さをお持ちだったんですね。

川崎 あー……それは僕が根っからの田舎者ってだけですよ(笑)。

――と言いますと?

川崎 東京という場所にびびってたんです(笑)。東京のおしゃれなカフェとか、ひとりで怖くて行けなかった。プライベートで遊ぶ友達もあんまりいなかったし、賢也とは一緒に上京してきたけど、賢也は賢也で芸人の道に打ち込んでいたし、何かしらの報告がないと連絡を取れないような気がして。だから必然的に学校と家とバイトと練習、というルーティンを2年間送るしかなかったんですよね。時間と友達がいたらめっちゃクラブで遊んでたかも……。まあ、いまだに一度も行ったことないですけど(笑)。

――(笑)。「音楽で結果を残したい」という川崎さんの強い気持ちが、そういう環境を呼び寄せたのかもしれませんね。

川崎 そうかもしれませんね。あそこで練習に打ち込めたのは、自分にとってすごく財産になっています。
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