まずお話自体にものすごく興味を惹かれました。その先で、この高山さんという作者はどんな人なんだろうと考えたんです。そこで調べていくうちに、彼の本に描かれている、“愛”と“エゴ”というテーマは、僕が日頃ずっと思っていたことだということに気付いただけでなく、僕の大学の先輩であることもわかり、共通点が多いことに気付いたんです。
――共通点が多いからこそ、“こう演じたいな”と思うことはありましたか?
クランクイン前に高山さんにお話を伺いたかったのですが、制作が決定する直前にお亡くなりになられてしまいました。だからと言って勝手に自分の想像だけで“浩輔”を作り上げるのは非常におこがましい気がして。そこで、当時の高山さんを知る人たちにたくさんお話を聞きに行き、作り上げていきました。さらに、僕が演じる浩輔のゲイという属性に関して、どれくらいカミングアウトしにくいものなのか、いまの社会的状況などを含め、LGBTQ+全体の基礎的なところから自分なりに勉強を始めていきました。

調べれば調べるほど、決まったものはもちろんなくて。性のあり方も本当にグラデーションで、すべてを位置付ける、型にはめることがわかりました。だからと言って、自分の想像だけで何かを表現したときに、それが当事者にとってどう映るのか、リアルなのか、そして、それが社会に与える影響がネガティブなもの‥‥‥例えば差別や偏見を助長したり、ステレオタイプを助長したりということにならないかということのバランスは可能なかぎり保たなければならないとも思いました。そこに関しては、監修のLGBTQ+インクルーシブディレクターの方と逐一確認しながら演じていきました。
――すごく大事なところですよね。
そう思います。そう言えば、高山さんのエッセイを読む中で、かなりの“毒”を感じたんですよ(笑)。
――たしかに、エッセイからは個性的な方だと言うことが伝わってきます。
そうなんです。ですので、なんというか、ただの“いい人”にしたくないとは思っていたんです。原作小説で主人公の浩輔はすでにまろやかに描かれていますし、映画では、浩輔が好きな人たちといる時間だけ描いているからこそ、愛のある人間に見えると思うんですが、一方で嫌いな人との関係はハッキリさせる人にしたかったといいますか。そういった頭が良くて、冷酷さも持ち合わせた人間が好きな人だけに見せる不器用な愛情を表現できたらいいなと。どの役もそうですが、その人をイメージの一面だけでとらえてしまうと、観てくださるお客さんには人間性が伝わらない気がして。なので、僕はその反対側を分厚く作っておくことが多いです。そうすることで、役の人物が見せている表の面がより複雑になり、より鮮やかに引き立てばいいなと思っているんですが。今回も、冒頭に編集者としてスタイリストさんに絡んでいるシーンがあるんですが、あの雰囲気が、実は普段の浩輔なんじゃないかなって思いながら演じていました。
