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【漫画家 武内直子先生】「いつも面白そうで楽しそうな道を選んできた人生で。いつのまにか漫画家になっていた」スペシャルインタビューVol.1

わたしが27歳だったころ。

【漫画家】武内直子先生 SPECIAL インタビュー Vol.1

超大作を生んだ武内先生は「27歳の頃」にどんなことに悩み、喜びを感じていたのか。お話を聞けば聞くほど、そこには等身大で人間味あふれる一人の女性がいました。今見えない壁にぶち当たっている全ての読者に贈る、武内直子先生の特別なメッセージ。

女が「働く」ということ

Q. 高校時代から「なかよし」に投稿されはじめ、大学在学中の19歳の時に、「なかよし新人まんが賞」を受賞された武内先生。一方で、薬学部に進まれ薬剤師免許も取得されています。将来の職業を具体的に意識されたのはいつ頃ですか? なぜ薬学部に進学されたのかも教えてください。また、なぜ漫画家を目指されたのでしょうか。
仕事をしていた母は『これからは女も仕事をする時代』『女の幸せはやっぱり愛されて結婚する事』と、いつも2つの事を言っていました。

真面目少女で高3で医大志望でしたが、漫画にどっぷりハマり成績が落ち、『医大へ行かないなら開業医の息子と見合いをさせるので薬剤師になれ』と母(笑)。理系科目と実験は好きで大学も楽しかった。でも大学2年でデビューして依頼されて原稿を描いたり打ち合わせが新鮮で楽しくて。編集さんから学んだり色々な所へ連れていってもらったり可愛がって頂いた。漫画家の世界がどんどん面白そうな世界に見えた。いつも面白そうで楽しそうな道を選んできた人生で。いつのまにか漫画家になっていました。
Q. 「美少女戦士セーラームーン」の前身である「コードネームはセーラーV」が生まれたのは1986年に男女雇用機会均等法が施行されてから、約5年後のこと。まだ日本では「女性は守られる存在である」という意識が強かったと思います。

しかし、先生の描くキャラクターたちは守られるだけの存在ではありません。女性たちや読者の女の子たちに向けてのメッセージや今後の女性像のイメージなどをお持ちだったのでしょうか。
女性は大切にされ、守られるべきだと思っています。
作中にもそんなメッセージをちりばめました。そして感情も行動も自分に正直で自由であるべきで、1つの決めた形だけでなく、あらゆる面もあってよいと。弱くて強い、戦うし惰眠もむさぼる、聖女であり悪女。男を求めたり突き放したりおバカな時も賢くもある、ブレない信条を1つ持ちあとはフレキシブルに変わりながら生きていく。小さな頃くり返し読んだ、70年代の少女漫画のキャラクターが「美少女戦士セーラームーン」の連載が開始された当時、 生き生きとそんな感じで影響を受けました。
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