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25.Dec.2020

脚本家 野木亜紀子「“自分らしさ” なんて 20代の頃はわからないもの」【わたしが27歳だったころ】

わたしが27歳だったころ。

様々な分野で活躍する大人の女性たちにも、私たちと同じ、27歳のときがありました。彼女たちが当時、何に悩み、どんな努力をしてきたのかを伺う本誌の新連載。センパイたちの経験から、素敵な大人に近づくヒントを見つけて! 

脚本家 野木亜紀子さん

世間を騒がすドラマや映画を連発するヒットメーカーながら、「脚本家になる!」と決めたのは20代後半になってから。野木亜紀子さんが描く女性像がことごとく魅力的なのは、何年も何年も、もがきながら社会と向き合ってきたから。
【PROFILE】のぎ・あきこ●脚本家。1974年生まれ。東京都出身。2010年にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、同作のテレビドラマ化で脚本家デビュー。

映画『図書館戦争』シリーズ、『アイアムアヒーロー』、ドラマ『空飛ぶ広報室』、『重版出来!』、『逃げるは恥だが役に立つ』、オリジナルドラマに『アンナチュラル』、『MIU404』など。

“自分らしさ” なんて 20代の頃はわからなかった

日本映画学校に通っていたのもあって、フィクションを作りたい人間だったんです。卒業後もそっちの道に進むつもりだったのに、担任の先生からドキュメンタリー制作会社の面接を勧められまして。

「お前に向いてそうだから行ってこい」と言われ深く考えずに受けてみたら、あっさり合格。成り行きでノンフィクションの世界で働くことになりました(笑)

その後いくつかの会社を経てADからディレクターになった後、20代後半はフリーランスで働きました。でも、当時はなかなかの不景気で。テレビ局がドキュメンタリー系の仕事を外部に発注しなくなって、こっちに回ってくる仕事はバラエティー感覚の情報番組ばかり。旅やグルメを扱う番組とかね。

今ならそれも楽しめそうですが、20代の頃は興味がなかったので、どんどん仕事がしんどくなりました。そこで「そういえば、私はもともと映画やドラマが作りたかったんだよな」と、ふと初心を思い出して。

そこに食い込むためには脚本家になるしかない!と、一念発起して、いったんテレビの仕事を全て辞めることにしました。たしか、28歳か29歳の頃だったと思います。

それから「フジテレビのヤングシナリオ大賞で入賞する」という目標を達成するまで、6年かかりました。35歳までに入賞できなかったら後はないと思っていて、ちょうど35歳で大賞を受賞できたので、ギリギリセーフ(笑)。不退転の覚悟で挑んだことが功を奏したのかなと。
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