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黒柳徹子さんが20代のときに心に誓ったこととは? 徹子さんの「学び・冒険心・好奇心」を年代別にまとめてみた!

働く女子の先輩 黒柳徹子“好き”と生きる Vol.4

働く女子の大・大・大先輩である黒柳徹子さんは、女優・ユニセフ親善大使の他にも、「社会福祉法人 トット基金」の理事長、いわさきちひろ美術館の館長や、日本パンダ保護協会名誉会長など……実に様々な組織に携わっていらっしゃいます。

「どれも強制されているわけじゃなくて、自分がやりたいと思うことをやっているので、つらいとか、辞めたいと思うことはありません」と言う徹子さん。

ここでは好きを見つける天才、徹子さんの「学び」と「冒険心」「好奇心」を年代別まとめてみました!

徹子さんの「学び」と「冒険心」「好奇心」年代別まとめ

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10代~

「神様は、どんな人間にも、飛び抜けた才能を一つ与えてくださっている」という言葉を信じて試行錯誤

女学生のとき、「神様は、どんな人間にも、飛び抜けた才能を一つ与えてくださっている。でも、大概の場合人間は、その才能に気づかず、違った職業を選んで一生を終えてしまう。アインシュタインやピカソといった人たちは、うまく才能とぶつかったケースだ」という話をお父様から聞いて、自分の生きる道を見つけた思いがした徹子さん。

クラシックバレエ、鉄棒、絵、英文タイプ、犬の調教、洋裁(当時はまだ“デザイナー”という職業は世間に浸透していなかった)、手品、競馬の騎手になるための乗馬など、自分の才能を見つけるために手当たり次第挑戦した。他にも、教会の日曜学校のオルガン奏者、自転車の曲芸乗り、タップダンス、オペラの演出、ハーモニカ、プールの飛び込み、教会の聖歌隊、テニス、スイート・ポテト屋さん、本のカバーかけ、九官鳥の言葉の先生。

……色々試したが、どれひとつとして才能の片鱗さえ見せてくれるものはなかった。

20代~

NHKの給料だけでは身の回りのことは整えられず、30歳近くになるまで親からお小遣いをもらう

女学校を卒業し、オペラ歌手になるために音楽学校に入学したが、オペラのアリア以外の低音部分のメロディがうまく覚えられず、挫折。そのため音楽評論家になろうと目的を変更し、途中、偶然にもNHKのテレビ俳優養成所の試験を受け、合格。

「音楽評論家よりもチェロ奏者のほうが良かったかもしれない」などと迷走しながら、大学での勉強と1年間の養成を無事に両立させ、大学卒業とともに、女優としての仕事がスタート。初任給は9000円で、給料日に弟妹たちにご飯をご馳走することはできたが、毎日の食費や身の回りのものを揃えるには足りず、30歳近くになるまで親からお小遣いをもらっていた。27歳のときに過労でダウン。「やりたいと思った仕事をしよう」と心に誓う。
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