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【黒柳徹子】人前に立つことが苦手だった少女が、俳優の仕事を「社会的な使命だ!」と感じるまで

「トモエ学園」のお芝居で義経と弁慶の話をやることになったときも、最初は主役の義経だったんです。歌舞伎の「勧進帳」で有名な安宅(あたか)の関で、義経のことを弁慶が金剛杖で叩くシーンがあるでしょう? 

義経と弁慶が、山伏の格好をして安宅の関を通ろうとすると、関守の富樫に義経と弁慶じゃないかと疑われて、そうじゃないことを示すために、わざと弁慶が義経のことを打つ。それを見た富樫は疑いを解いて、2人を通してくれるのです。

なのに、子供の私は内容を全く理解していなかったから、弁慶役の子にぶたれたとき、思わずその子の足に嚙み付いてしまったの。それじゃあお芝居が成立しません(もちろん、今だからわかることですが)。先生から、「ぶたれるのがそんなに嫌なら、義経じゃなくて山伏になってよ」と言われ、私は主役を降ろされました。

山伏の役になったらなったで、山伏は5人いて、こっちのほうが退屈でやんなっちゃう、と思いました。「お山は晴天~」って歌いながら山を登るんだけれど、やることがないから金剛杖で指揮をしたんです。そうしたら、校長先生が「もう山伏もやらなくていいから」と。結局、このときの主役も幻に終わりました(笑)。
人より高いところに立つのは苦手だし、お芝居の役をもらっても降ろされるばかりだった私が、不思議なもので、NHKに入って出演料をもらった途端、人前で何かをやることが、なんでもないことになりました。1年の養成の賜物かも知れませんが、それだけじゃないんです。

もっと、社会的な使命を感じたというか、カメラの前に立ったとき、そして舞台に立ったとき、居心地がよくて「私はここが好き!」と感じたのです。

1953年にNHK放送劇団に入って、1年間お芝居の勉強をして、正式に俳優としてデビューしたのが’54年。それから13年間、私はNHKの専属女優としてさまざまな仕事に携わりました。

フリーになったのは1967年です。そこから1971年にニューヨークに渡り、プロの俳優専門の演劇学校に通うまでの4年間は、舞台やテレビドラマなど「進んでやりたいこと」に挑戦する日々でした。
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