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森香澄・私がフリーになった本当の理由 「30歳目前で新しいチャレンジを」欲望赴くままに

新しい一歩を踏み出すには、誰だって勇気がいるものだ。
この4月1日からテレビ東京を退社し、プロダクション「seju」に所属し活動することになった森香澄さん。退社報道が出た際には、多くのメディアがニュースとして取り上げた。人気も右肩上がり、順風満帆な27歳のこのタイミングで、なぜ突然決意するに至ったのか。
今回、この晴れやかな門出のタイミングで、with onlineにて直接お話を伺う緊急企画を敢行。森さん曰く、意外にも“ほぼ初体験”というファッション撮影では、これまでの“局アナ・森香澄”とはまた違う魅力が開花。女性男性問わずますます注目を集めそうな、素顔の垣間見られる撮影となった。
森香澄さんの本音独占ロングインタビューをスペシャル公開!
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「去年の6月で27歳になったときに、ふと、『あと3年で30歳だな』と思ったんですね。アナウンサーとしてはまだまだキャリアも浅く未熟。若手の部類ではありますが、もし、新しい世界に踏み出すとしたら、ある意味ラストチャンスのタイミングかもしれない、と。アナウンサーになって担当させていただいた番組では、自分を表現しながらキラキラと輝いている方々に、大勢出会うことができました。たとえば、新人のときから担当していた『THEカラオケ★バトル』でも、出場者の皆さんの頑張りに、何度も心を動かされてきた。そういう素敵な出会いが積み重なって、私の中で、実は少しずつ変化が起こってきていましたし、それまで封印していた感情を表に出す勇気を持てたことが、一番の理由ですね」
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「封印してきた感情」とは、彼女の子供の頃からの“夢”と“好きなもの”に起因している。

エンタメ好きな両親のもとに生まれた森さん。 “食事中はテレビ禁止”とは真逆の家庭で、テレビが付いていないときが無いというほど、常に家族でテレビを観ながら、あれやこれやと意見を交わしていたという。3歳のときからピアノを習い始めて音楽が大好きになり、ミュージカルにもよく連れていってもらった。
高校ではダンス部に所属。学内の一大イベントである有志参加のミュージカルでは、「周囲にうざがられていたかもしれません」と語るほど、中心メンバーとなって熱く打ち込み、公演の千秋楽で、みんなで抱き合って号泣した思い出が宝物だそうだ。
音楽もミュージカルもスポーツもドラマも。彼女にとって、世の中には、心を揺さぶってくれるものが数えきれないほどたくさんあった。そして、そういったものと触れているとき、森さんの日常はキラキラと輝いたのだそうだ。

“好き”を仕事にすることへの躊躇いがあった10代

「ただ、学生時代には、将来何になりたいかを考えたとき、『好き』を仕事にすることには多少の躊躇いがありました。それまでは、ピアノが好きだったので、漠然と『将来はプロの音楽家になろう』なんて思いながら、ずっと練習に励んで。でも、進路を選ぶってなったときに、音大に進学して、ピアノを仕事にしたときの自分を想像したら、今の純粋な『ピアノが好き!』っていう感情が消えてしまうかもしれないと思ったんですね。それで、高校生のときに、進学志望先を音大から普通の文系に切り替えたんです」
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自分の本音と常に向き合い、潔く道を変えられるところは、まさに彼女らしい“強み”なのかもしれない。ところが、当時は、好きなことならすぐに没入できていた一方で、勉強を“好きなこと”としてすぐに打ち込めきれない自分がいたそうだ。

「ピアノやミュージカルと違って、受験勉強には最初苦戦しましたね(笑)。でも、1浪して東京女子大学に入学してからは、浪人したことで、周りより遅れているっていう焦りみたいなものがきっとあって。時間は有限で貴重だと捉えていましたし、どんなことにも積極的に挑戦するという、良い意味での癖がついたと思います」

さらに、その大学時代にアメリカに留学したことで、アナウンサーの基盤となる“度胸”も身についたのだそう。

「それまで実家からは出たことがなく、海外にも行ったことがなかったんです。大学の制度を利用して、カリフォルニアに数ヶ月ホームステイをさせてもらいました。初めて親元を離れて海外で生活をしてみて、月並みな言い方ですが、『自分が思っているより、世界って広いんだな』と、一気に視界が開けた感覚がありました」
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その後、就職を考える上で、「自分がやりたいことって何だろう?」と自問自答を繰り返した。ミュージカル、テレビ、音楽……。彼女の生活を彩ってきたものや、小さい頃の自分の夢を振り返ったとき、「エンタメが好き」という彼女自身の真髄に行き着いた。そこで、「テレビの世界を目指してみようか」と思ったのが、アナウンサーを目指すきっかけだったのだそうだ。
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「受験で動機を聞かれるたびに、『新しいものや、ワクワクするものを視聴者の方たちに伝えていきたいです』と答えていました。音楽でもドラマでも舞台でも、それを初めて見た人の表情って、眩しいくらいにキラキラ輝くんですよね。私は、自分の心が動くことはもちろん、人がビックリしたり喜んだり感動したりする顔を見るのがとても好きで。いろんな人の心が動く瞬間に、ある意味一番良い場所で立ち会えるのがアナウンサーだと考えていましたね」

採用試験では、あと一歩のところで悔しい経験もたくさんしてきたそうだが、狭き門の中、テレビ東京がアナウンサーとして採用。

「テレビ東京は、個人の“やりたい”をちゃんと覚えていてくれる会社でした。例えば、昔から私は体操競技が大好きで、特に、内村航平さんのパフォーマンスの虜。内村さんが引退されるとき、そのことを覚えてくださっていて、引退会見のインタビュアーに抜擢してくださったんですね。もちろん、体操については好きが高じてかなり勉強もしていましたが、そういう貴重な機会に個人の希望を優先して叶えてくれる会社って、意外と少ないですよね。他にも、テレ東でしか経験できないような現場に何度も立ち会うことができて、幸せでした。だからこそ、難しい決断でしたし、これからの活動にしっかりつなげていきたいですね」
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