ピープル
#おしゃれOLさんの憧れアイコン

デビュー後、瞬く間に売れっ子アーティストに。PUFFYが振り返る25年間「“ふたりだったから” やってこられた」

1996年5月にシングル『アジアの純真』でデビューしてすぐに、ユーモラスでクレバーなポップソングと、ふたりの独特の佇まいやキャラクター、リスナーが真似しやすい振り付けなどでたちまち人気を博したPUFFY。1998年からは海外公演を行うようになり、2004年にはアメリカにて彼女たちをモデルにしたアニメが放送されるなど、独自のアーティスト道を切り開いています。

2021年9月にはデビュー25周年を記念して、前作『Thank You!』より10年ぶりとなる12作目のオリジナルアルバム『THE PUFFY』をリリース。いまもフレッシュな音楽を届け続けるおふたりに、「ケンカはほとんどしたことがない」というお互いの存在、音楽活動と子育ての両立、PUFFYとして発信していきたい音楽について話していただきました。

全3回にわたるインタビューの第1弾のテーマは、「PUFFYの個性的な25年間の歩み」。突然の環境の変化や、海外での活動のなか、彼女たちはどんな思いを抱えていたのでしょうか。唯一無二の存在になっていった過程を探ります。

デビュー後すぐに大ブレイク。戸惑いながらも“ふたりだったから” やってこられた

pattern_1
――PUFFYは1996年に『アジアの純真』でデビューしてから、瞬く間に売れっ子アーティストの仲間入りを果たしました。突然の環境の変化のなか、どのような心境を抱えていたのでしょう?

大貫亜美さん(以下、亜美) 全然追いついてなかったです。自分たちは変わらないけど、どんどん周りの環境が変化していって。そのギャップには戸惑っていましたね。

吉村由美さん(以下、由美) あんなに急に環境が変わると、やっぱり戸惑いますよね。あの時の感覚を言葉にするのが難しいんですけど、すごく変な気分でした。「なんで会ったこともない人たちが自分のことを知っているんだろう?」って。でも新人のうちは隅々までサポートをしてもらえたし、戸惑いを抱えながらもPUFFYとして歩んできて、徐々に責任感が芽生えていきました。

亜美 わたしたちはデビューの時点で20歳を過ぎていたので、「ここは流れに身を任せたほうがいいな」「ここはちゃんとふたりで異を唱えたほうがいいな」という判断も比較的冷静にできたんですよね。あと、戸惑いも多いなかでやってこられたのは、“ふたりだったから”かな。当時から何か気になることがあったら、まずふたりで話し合って、ふたりで意見を固めたうえでスタッフさんと話し合いをしていたんです。

由美 大変なことはもちろんあるけど、うちの会社はある程度自由にさせてくれていたしね。日常生活に干渉されることはなかったし、服装も髪型も個人に委ねられていたし。そういうのが自分たちには合っていたんだと思います。
次のページ>>いい楽曲があるからこそ、PUFFYがPUFFYでいられる  
36 件

キーワード

急上昇キーワード

新着記事

あなたへのおすすめ