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小島慶子「令和女子のための新・教養」
28.Dec.2020

小島慶子「美は本来、人と世界、人と人を親密にするもの」【令和女子のための新・教養】

オトナになるって楽しい!小島慶子の令和女子のための新・教養【Vol.15】

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前回は「誰もが自分を美しいと思えることを目指す世の中よりも、美は価値の一つに過ぎないと言える世の中の方が自由だ」という話を書きました(前回の記事はこちらから)。

読みながら「小島さんはアナウンサーをしていたのだから、容姿で得をしているじゃないか」と思った人もいるでしょう。確かに、容姿が問われる仕事につけたのは、私がある程度顔立ちが整っていると判断されたからでしょう。ではそれと「人が外見で決めつけられ、格付けされる世の中は間違っている」と考えることは矛盾するでしょうか?

人を見た目で判断する社会に対して怒るのと、その社会で容姿が優れていると評価されている人を責めることは、似ているようで違います。むしろそれは、見た目重視社会を強化することになるのです。
私はオーストラリアに行けば少数派のアジア系住民です。そこではアジア系の黄色味がかった肌の色や頰骨の張った顔立ちを醜いと感じ、バカにする人もいます。バカにされるととても傷つきます。

同時に「あなたの美の基準に照らしたら私の大きな顔やくすんだ肌は醜いのだろうね。で、美しくないことが何なわけ? たかが美でしょうよ。そんなことで私を貶(おとし)められると思うなよ」という気持ちになります。
それを英語で言い返す語学力もないし、場合によっては相手の顔立ちを確かに自分より美しいと感じることもあるのですが、だからと言って私をバカにしていい理由にはなりません。また、その人はアジア系でないから、あるいは顔立ちが整っているから嫌なやつなのではありません。

人を見た目で愚弄してもいいと思っているから卑劣なのです。私はその人物の卑劣さを憎み、同時に世界中にある人種差別を憎みます。その人物の人種を憎むのでも、造形的な美を憎むのでもありません。
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