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written by withLabメンバー あゆちゃぴ
10.Feb.2021

映画『長いお別れ』を観て。


こんにちは、一ノ瀬鮎夏です。

今日は映画の感想を書いてみます。
中野量太監督 『長いお別れ』を観て。


ネタバレも含むので、ご注意ください↓



山﨑努さん演じる東昇平が認知症になったことを、母・曜子(松原智恵子さん)が

長女・麻里(竹内結子さん)と

次女・芙美(蒼井優さん)に伝えるところから

物語は始まる。

そこから

『ゆっくり記憶を失っていく父との、

お別れまでの7年間』

の家族の様子が、

それぞれの登場人物の生活や人生模様にも触れられながら、優しくあたたかく描かれていく。



ところで自分の家族が認知症になると想像したら

何を思うだろうか。

悲しい、つらい、嫌だと思うだろうか。



それは間違っていない。

でもこの映画のポスターにも書かれている言葉


『だいじょうぶ。忘れることは、悲しいだけじゃない』


実際、その言葉通りだ。

それが伝わる、素敵な映画だった。



実は私自身も認知症を患った祖父を去年亡くしている。この映画と色々な点がよく似ていた。祖父も認知症を患ってから亡くなるまで、7年ほどだった。


祖父の認知症は自然発生的というよりは、

不幸と不幸が重なった末のことだったが、

始めの異変は、家までの帰り方が分からなくなったことからだった。



私が高校生の時、祖父は、自転車では危ないからと3年間ずっと、雨が降る日は車で送り迎えをしてくれた。

高校卒業と同時に私は県外に出たが、地元に帰ってきたときは必ず、駅までの送り迎えをしてくれた。

車をいつもピカピカに磨き、安全運転かつ運転上手が自慢だった祖父。

そんな祖父が、車に乗って出かけて、家までの帰り方が分からずに道に迷ってしまったのだという。

そんなことが何回かあり、私を迎えに来る約束の時間も覚えられなくなり、

祖父は運転免許を自主返納した。




認知症になると、普通にできていたことができなくなっていくのだという。


この映画は、認知症を発症してまだ半年の頃、母がすでに家を出た娘たちを呼び出し、約一年ぶりに家族が集合して昇平の誕生日パーティーをするところから始まる。

そこで娘2人は、それまでの父とは少し様子が違う姿を見て驚き、困惑する。

そして同じく認知症となった本人の姿も描かれている。

1人書斎に佇む昇平の後ろ姿。椅子に座った横顔。

見ていると少し喉の奥が詰まった。

道が分からなくなっちゃったんだよと話していた祖父が、思い出された。



映画では時間の経過を2年ずつ追っていく。


その中では父の姿だけでなく、姉と妹がそれぞれの自分の生活への悩みを抱えながらも、毎日を懸命に生きる様子も描かれている。

ありふれたと言ったら雑に聞こえるかもしれないが、家庭があれば家族との関係や在り方に悩むし、独り身なら仕事のことや、誰かとの繋がりを求めて悩む。

現代を生きる女性の姿として、私自身も共感する部分が多かった。


姉・麻里の息子・崇も一度日本に来ることになり、認知症になった祖父と久しぶりに再会する。

この時すでに昇平は崇に対して孫という認識はないが、それは特に大ごとでもない。


認知症になると、昔のことは覚えていても最近の記憶を忘れてしまうのだという。



私の祖父は、私が県外に住んでいることを忘れていた。

東京へ戻る時、駅まで送ってくれる車の中でいつもこっそりお小遣いをくれたが、それも全て忘れていた。

ある日は、私が孫のあゆかだと言うと、『可愛いあーちゃんがいなくなっちゃった』と顔を歪ませて悲しんだ。

祖父の頭の中では、成長した私の記憶がすっかり抜け落ちてしまったようで、子どもの頃の私しか覚えていなかったらしい。

祖父があまりにも悲しむので、可笑しくて笑った。『美人になったでしょ!』と言うと、最終的には『ほんとだなぁ』と納得してくれた。



たとえ自分のことを覚えていなくても、名前を呼ばれなくても、祖父と孫という関係は変わらない。

今まで通り変わらず、ただ一緒に時を過ごす。


昇平と崇の姿もやり取りも、とても微笑ましい。


時間の経過とともに昇平はできないことが増えていき、身体も弱っていく。得意だったものもできなくなり、好きだったものにも興味がなくなる。

トイレも食事も1人ではうまくできず、介護が必要になる。


娘2人が家を出ているため、母と父は老々介護状態で、デイサービスやショートステイなどを利用するようになる様子もとてもリアルだった。


自分の生活で辛いことや大変なことがあっても、何かあった時に駆けつけて父と母をサポートする妹の芙美の姿。

アメリカ暮らしの姉・麻里が、こまめに動けないことを申し訳なく思っているが、いつも家族を思っている様子。

そして夫・昇平のすぐ側でどんな時も寄り添う、母・曜子、その夫婦の姿。

離れていても、それぞれの暮らしがあっても、家族は1つで、繋がっている。

その様子が、昇平が亡くなるまで描かれており、認知症に関しての悲しみのようなものは、ほとんど表現されていない。

見えたといえば、最初の誕生日パーティーでほんの少しだけだ。

認知症になってからの7年間も、その家族は以前と同じように、夫、父、祖父という存在と向き合い関わっている。



この映画を観て特に感動したのは、

この7年間の中に、認知症患者とその家族の繋がりやあたたかさが、優しく散りばめられていたことだった。


その1つ1つは決して大袈裟に描かれておらず寧ろ本当にあっさりとしている。

だからピンと来ない人も多いかもしれない。気づかない人もいると思う。

でも実際に認知症の祖父と、介護する祖母や母たちの様子を見ていた私の心には、

ふんわりと落ちてきた。


もしかしたら良く描かれすぎだと思う人がいるかもしれない。

もっと辛い部分や苦労がたくさんあるはずだと。

でも私の感覚でいうと、そんなことばかりではない。実際本当に、こんなかんじだった。


認知症になった祖父と過ごした時間は、元気だった時の思い出と同じように、私の中であたたかく残っている。


確かに、悲しくなる時がないわけではなかった。

でも、できないことが増えていっても、色々なことを忘れていっても、

自分にとって祖父が大切な家族であることに変わりはない。




映画を観ると

ああこれは、きっと原作があるんだろうなと分かる時がある。無理矢理にギュッと詰め込んだかんじや、噛み合わなさを感じられた時だ。


でもこの映画『長いお別れ』に関してはそれを感じなかった。だから原作があることも後から知った。


原作と映画は、登場人物も家族構成も変わっているそうだ。

そしてこの本は、著者の中島京子さんが、実際にアルツハイマー型認知症を患ったお父様を亡くされた経験から書かれたのだという。

それを知って、とても納得した。

本もいずれ読ませていただこうと思う。



原作をまだ読んでいないけれどこの『長いお別れ』は本当に素敵な映画だった。

山﨑努さん、年を追うごとに進む認知症の演技、表情、動き、発する言葉、本当に凄い。

キャストの皆様にお礼を伝えたいくらい、素敵な映画だった。




確かにお別れは寂しいし悲しい。大好きな人が自分のことを忘れてしまうのも、寂しくないと言ったら嘘になる。


でも、言葉で説明できない思い合う気持ちが確かに存在していて、それが分かる日々だった。だから、悲しいだけでは全然なかった。

それをまた改めて思い出せた。


本当はこの映画を観る前に、実際に体験しているからこそ、少し悲しくなるのではないかと心配したが、杞憂だった。

だから今現在、認知症のご家族の介護をされている方も、認知症だったご家族を亡くされている方も、

気持ちが少し向いたなら、オススメしたい映画です。優しい気持ちで観れるはず。




私はこの映画を観た後に残った優しい気持ちを考えた時、なぜかふと

おはじきみたいだと思った。


子どもの頃、祖父にたくさんの遊んでもらった。

山や海、色々なところ連れて行ってもらった。

将棋やトランプ、メンコやコマ回し、たくさんの遊びを教えてもらった。

その中におはじき遊びがあった。


私はおはじきが好きだった。おはじきは薄くて丸くて、色んな色があって、陽の光に当たるとキラキラ綺麗で、チャカンッと鳴る音も好きだった。



おはじきみたいだと思ったのはきっと、

お昼を食べた後、柔らかい日差しが差し込む

ゆったりとした午後の時間


3時のおやつを待つまで私たちと遊んでくれた

優しい祖父との楽しかった時間も

コミコミだからなのだろう。


祖父と過ごした時間は今も

思い出すたびに優しく光る。


認知症になる前も、なってからも変わらない。

おはじきみたいにカラフルで色褪せることのない

大切な思い出だ。




一ノ瀬鮎夏


 
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